外国でのどうにも慣れない距離感

351
photo credit: Celebration of Holi 5 via photopin (license)

西欧や北米の話題ではまず上がって来ないのに、アジアとなるとあたかもそれがキーワードであるかのように急に存在感を増す言葉。

ディープ。

そう言われる国を敢えて挙げるのならば、じゃあまずはインドとか、

photo credit: Chilkur Balaji Temple - Velocity of Prayers via photopin (license)
photo credit: Chilkur Balaji Temple – Velocity of Prayers via photopin (license)

あとはそう、インドとか、

photo credit: Holi - Chennai via photopin (license)
photo credit: Holi – Chennai via photopin (license)

そしてやっぱりインドとか。

いろんな場所がありますけど、インドは向かう所敵なしといった感じです。

目も口も、そして肉も、主張が主張を巻き起こし、それも無数の束になって襲い掛かって来る。それが私のインドに対するイメージ。別に彼等が攻撃的であるとか言っているのではありません。ただ、肉食系的な野性味らしきものが絶えず漂い(ベジタリアンの多い国ですけど)、その中で燻されるぐらいならまだしも、それこそすぐにでも取って喰われてしまいそうな感覚にはなります。そこにカオスを見て、底の見えない深さ、まさにディープを感じます。

インドを旅する人は、好きか、嫌いか、両極端に分かれる。よくそう言われます。実際にインドのどこに行ったのかでも違うとは思うものの、1度は彼の地を訪れた事のある者として、その意味も少しは理解できる気がします。本当なら「好き」か「嫌い」かと言うよりは、「慣れられるか」否か、「受け入れられるか」否か、が近いのでしょう。距離感が全く違う現地の人々に警戒線を次々と突破される事で覚えるのは、好奇心か、それとも不快感か。

もし「インドで生活して来い」と言われたら、私自身は、旅ならまだしも、きっと断りたくなるだろうとも思います。

旅にだってその限られた時間に対してそれぞれが掛ける(賭ける)思いがあり、その中で実現させたいものも普段の生活とは違う訳で、一概に旅だから簡単とは言えません。けれども離れたいものならすぐにでも離れられるし、長居したければそのようにもできる、気持ちの自由さがあります。生活するとあってはそう簡単にはいきません。

去年イランを旅した際にテヘランで会った台湾人留学生。私同様前々からイランに興味がありながらも、まだまだ旅を楽しんでいた私とは対照的に、彼はイランでの生活にすっかり疲れ切っていました。違う顔立ちと見ればすぐに声を掛けたくなる周囲のイラン人に対しても、彼は極力避けていて、何もかもを寄せ付けないオーラすら醸し出していました。私自身はまだ旅をしていた最中だったので、それをもったいないと感じましたが、時間を空けて考えてみると、それは自分が香港で経験した事と何ら変わらないのだと思うようになりました。

photo credit: Dark Alley via photopin (license)
photo credit: Dark Alley via photopin (license)

ただ、香港での距離感はインドやイランのそれとは大きく異なります。元々見た目に変わるところはありませんから、人に好奇心丸出しで見つめられる場面も無ければ、話しかけられる事もありません。それでも私にとって耐え難かったのが物理的距離感でした。香港の町が小さいとは決して思いませんが、極端に狭く作られているので、人が同じ場所に集まり過ぎて窮屈になり、それにも拘らず個人個人が対策を採らずに、必要以上に近い距離感でいる事を強要されている感じがしました。旅であればそれも香港らしさとして新鮮に捉えられたのでしょう。でも生活している身にはとてもつらかったですね。

上手な距離感の取り方、そんなものは外国で20年以上生活していても教えられません。逆に教えてもらいたいぐらいで。

幸いにして、モントリオールではまだ距離感の違いから来る不快感を覚えた事は無いです。新しくスタートを切った地で、少なくとも不安要素が1つ解消されているという事実に有難く感じています。

コメントを書く

Please enter your comment!
Please enter your name here

CAPTCHA